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【日乗 平成十八年 1】
1月1日(日)
朝、奥サン、一成と三人で三宅八幡参拝。母は、脚の具合を気遣って自宅に。一成が代参。
おみくじ、一成、小吉。社務所にて、『洛北上高野・八幡さんの絵馬』という本を買う。平成十七年三月、三宅八幡絵馬保存会発行。
午後、今度は四人で、タクシーで北野天満宮へ参拝。
京都北野天満宮境内に摂社・白太夫社あり(右写真)。由緒を記した説明の立て札には、若い頃から髪が白かったので白太夫と呼ばれた、道真公のお守り役の翁を祀ったものだとあった。
白太夫という名の老人は、『菅原伝授手習鑑』では、梅王・松王・桜丸の父親として登場する。
亦、白太夫とは、漂泊の遊女や傀儡に信仰された、地位の低い神の名でもある。
参詣人でごった返す境内で、うまく写真が撮れたもの。
1月2日(月)
昼過ぎ、宝ヶ池公園で、一成とRC機を飛ばす。高度を上げれば、上空の風にコントロール困難となり、喬木の先端附近に突入。回収不可能となる。一成のRC機の喪失、都合三機。全て父親の操縦による。今回は、泣かず。飛行の雄姿、写真に残りたり。
ちなみに、写真左の建物は、地球温暖化防止会議の会場となった国立京都国際会館。この建物は、前面に宝ケ池を配した構図で撮影されることが多いが、これは逆の側から見たもの。右手の木立の奥に見えるのが、西武グループ再建に関わって、一時売却が検討されていた宝ケ池プリンスホテル。夕方、飛行機が地上に落ちているのではないかとの微かな希望を抱き、一成と散歩に出、このホテルのラウンジで、一成はリンゴジャムの紅茶、我はウィスキーを飲む。
1月3日(火)
大阪日本橋の国立文楽劇場の初日。奥サン、一成と三人で、京阪特急で出掛ける。正月の初日、劇場の前で、恒例の三番叟の人形による鏡割りあるを見る。奥サン、これを一成に見せたかったよし。
『寿式三番叟』、太夫八人、三味線五人が並ぶ。華やかなこと。これが済んで昼食。天丼を食べ燗酒を飲み、お陰で午後の演目は半分以上寝てしまう。反省。
午後の最初は『太平記忠臣講釈』。所謂、忠臣蔵物であるが、惣嫁(上方で、路傍で売淫する最下級の淫売婦ー広辞苑)の世界を扱っているところが興味深い。次いで、『卅三間堂棟由来』。柳の木の精が、みどり丸という少年の母であったという設定。「木遣り音頭の段」で、伐られて運ばれる柳の丸太が、何となく哀れに色っぽい。
昼の部終わって、道頓堀に出、たこ昌でたこ焼きと明石焼きを食べ、夫婦善哉を買う。法善寺に山伏姿の人、多く居たり。
京阪電車で京都に戻る。帰路に京阪を使ったのは、余り記憶にない。何時もは阪急。
1月4日(水)
南座の前進座公演、昼の部に出掛ける。井上ひさし作の『たいこどんどん』。今日は、母も含め四人。連日の観劇となったのは、母が脚の神経痛で、大阪へ出掛けるのを不安がったため。
しかし、この芝居は出色の出来映えであった。よい脚本、よい演技、よい劇場。正月気分に相応しい楽しい内容。嵐圭史の若旦那と中村梅雀の幇間という取り合わせもいい。序でに、舞台も花道も見易いよい席。これだけの条件が揃うことはめったにない。遊女屋の亭主が花魁の言葉を回想して言う科白、「若旦那は今日は来るかしら」は「来られるかしら」の言い間違いだろうが、小さな瑕に過ぎない。
大団円の処理の仕方ー若旦那が江戸に帰って見ると自分の店が無くなっているという事態を、時代が明治に変わり江戸が無くなってしまったという世相の変遷と重ね合わせ、個人の悲劇というテーマにはしないーも、芝居というものの性質をよく捉えたものである。
最も高度でタフなエロキューションを要求されるこうした芝居を、昼夜二回、一ト月続けるのは、役者にとって、命を削る様な作業だと思われる。井上ひさしの、日本に対する愛情も、十二分に伝わってきた。
跳ねて後、夕方から桃園亭で家族の新年会。
1月5日(木)
帰静。聖子ちゃんも戻ってきて居り、夕食は、皆で「瀬名食堂」に出掛ける。
1月7日(土)
昼前、洗濯機の上に付ける棚を、ライフでクレッセに買いに行く。今年の初運転。午後、棚を組み立てる。夕方から、Hアソシアで常葉の新年会。奥サンと出る。
3月7日(火)
二ヶ月間、更新を怠っていたことになる。この間あったこと、不愉快でないことのみを簡潔に記す。
その前に、京都帰省中のことで、書き忘れたものを一つ。
上高野の家の壁にバッタがとまっていた。冬のことで、初めて見たとき、死んでいると思ったが、動かないまでも、余りに緑の色が鮮やかであった。そして、驚いたことに、翌日にはとまっている位置が変わっていたのである。位置は、毎日変化し、帰静する二日程前まで、その姿は確認できた。
1月12日、木曜の夜、JRバスで上京。翌日の歌舞伎座・夜の部、翌々日の昼の部と観る。坂田藤十郎襲名披露。昼の部に、「夕霧名残の正月」出る。月曜日に帰静。直接、リハビリ専の入試に赴く。
2月3日(金)、夕刻、清水文化センターの「新春お笑いの夕べ」に行く。江戸家子猫のものまね、川柳川柳の落語、昭和のいるこいるの漫才。草薙まで自転車、草薙から桜橋までは静鉄電車。寒気強く、喉を痛める。
2月5日(日)、伏見さん、高井さん、来訪。
2月25日(土)、ワークショップ、歌舞伎座観劇と東都劇場史跡探訪。ワカサギの天麩羅蕎麦、久し振り。
3月3日、桃の節句。毎年、「やすみ・せいこ」のプレートを付けた雛祭りケーキを用意する。今年は、一成、クレープを焼く。
3月5日(日)、一成、友人と映画に行く。「ドラえもん」の新作。親が付かず、バスに乗り街中へ行くのは初めてなり。
更新を怠っていた間に読んだ(読み終えた)本。宮部みゆき『模倣犯』、ダニエル・キイス(小尾芙佐訳)『アルジャーノンに花束を』、有吉佐和子『恍惚の人』。
同じく観た映画。『秋立ちぬ』、『レナードの朝』、『ふるさと』。
『模倣犯』と『秋立ちぬ』を除けば、全て認知症、乃至はそれに類する症状の主人公が登場する。
現在、荻原浩『明日の記憶』を、読み返している。
自動車の運転。菊川へ教育実習の巡回に行ったり、一成を乗せて三保へ行ったり。
3月8日(水)
卒業判定会議。
昨日より、クリスティーン・ボーデン『私は誰になっていくの?』、読み始める。
3月10日(金)
一年生登校日。卒業研究の相談にだけ行く。
ドライブ。流通通りを南下、静大の前を通り、久能の海岸に出る。国道150号線、通称「いちご海岸通り」(こんな名前で呼ばれていることを初めて知った)を東進、日本平パークウェイを経て帰宅。
その後、FAXのインクを買いにコジマへ行く。一日に二回車を出したのは、初めてだと思う。
3月11日(土)
午前中、一成を乗せ、昨日のコースで150号線に出る。久能山下の観光客用食堂で、我は桜エビのかき揚げ丼、一成はカツカレーの昼食。渋滞し、食堂で待たされ、一成の田中君との待ち合わせの時間に遅れまいと、帰路、近道を探る。却って道を誤り日本平山中に迷い込む。山頂より、昨日のコースに入る。時間に遅れ、帰宅後、連絡したりタクシーを呼んだり様々。
十四時四十分より、T期教育実習の反省会。
夜、『明日の記憶』、二回目読了。
3月12日(日) 雨
昼食後、一成を散歩かサイクリングに誘っていたら雨。ライフに乗せ、日本平パークウェイを通り、久能海岸に出、三保半島先端で反転、再び久能海岸を走り、10日のコースを逆送する形で帰宅。三日続けて、久能海岸、日本平を走ったことになる。
3月13日(月)
寒気戻る。
夕方より、桑野先生の送別会。「寿か乃」という浅間神社近くの和食の店。朴葉の上の肉に郡上味噌をからめて焼く料理なども出る。あと、「日本茶房 寿苑」という仕舞た屋風の茶店。店を出れば、小路を隔てた向かいの塀を越して早咲きの桜咲きたり。
3月14日(火)
寒気、昨日に引き続く。
自動車を運転するようになっての感想。思いつくままに。
歩行中も、自動車を、前ほど邪魔だとも危険とも思わなくなった。かつて、犬を飼って、他家の犬を怖く感じなくなった経験あり。また、子供を得て、それまでうるさいとのみ思いしなべての幼児をかわいく感じた経験もあり。これに似る。免許取得のため、交通法規を学び、「自動車の行動規範」を知りし故か。犬を飼えば犬を知り、子を持てば子供を知る。知は、人の怖れを取り除く。
運転中も、以前に予想していた程には、恐怖を感じることがない。上記の理由にもよるが、車内という隔離された空間が、外部の交通を遠いものに感じさせる面があるのであろう。危険なことではある。
夕食後、少し眠り、変な夢を見た。
自宅ではないようだが、自宅と感じられる場所にいる。誰と特定できないが、家族か、非常に親しい人間一人と共にいる。二階から階下に、焼却すべき書類などを下ろしている。この書類に混じって、ダンボール箱に入った複数の死体がある。死体は、非常に数が多いと感じている。手で持って運べる箱に、何体も入る程の小柄な死体である。早く焼かないと、子供の死体など腐りかけていると、共にいる人が言う。箱を階下に下ろし、複数の死体を、別のダンボール箱に移す。床に置いた空箱に、持ってきた箱を傾けて入れるのである。その時、うまく入れないと、死体を手で触ることになり厭だな、と思った。一方で、腐りかけている死体の太ももの肌に触れて、弾力を確かめたような気もする。死体は、浴衣らしいものを着ており、片脚が露出しているのだ。書類や木切れと共に、死体を焼く。木切れに、簡単に火を点けることができた。これは、先日読んだ『明日の記憶』の陶器を野焼きするの場面の印象から来ていると考えられる。ダイニング・キッチンのような室内で、火が燃え上がる。危険な気もしたが、こういう所でこういうふうに火を燃やすのが普通のことなのだと知っている。
こんな夢である。
3月16日(木) 曇のち雨
卒業式。奥村学長、最後の卒業式。よい告辞、よい演出、よい謝恩会。
3月20日(月)
昼間、影山先生から無線LANの件で電話。
夜、内田先生と食事会。七間町近くのイタリア料理の店。ここでも無線LANの話が出る。皆、子供が専用のPCを持つ年代になっている。
3月21日(火) 晴
午後、アイセル21の「長唄演奏会・江戸の調べ」に行く。自転車で往復。
奥村先生よりチケットをいただいたもの。三味線の稀音家小之女史が先生の奥様。とても粋な方。
荻江節、笛の演奏もあり。ゆくりなく伏見さんに会う。篠笛のお師匠さんが出演されるのだとか。
戸藤先生ご夫妻、本橋先生、稲葉先生、モンゴルからの留学生(?)、卒業生にも会う。世間は狭い。
流石に水準が高く、規模もこうした演奏には適当で、楽しめた会であった。
3月22日(水)
1〜4時限、国語教育ゼミナール。
3月25日(土)
母、来静。昼過ぎ、駅に迎えに行き、奥サンが一基会でよく使っている鮓屋で四人で食事。
3月26日(日) 曇
母と一成をライフに乗せて、久能海岸の苺狩りに行く。
昼前に出て、日本平パークウェイを抜け、海岸通りに出る。苺狩り、二十数年静岡に住みながら、初めてなり。一成は、幼稚園だか小学校だかで体験す。
苺狩り果てて、食事場所を求め、150号線を西進す。焼津を越えた頃、一成、眠る。反転し、焼津GHで遅めの昼食。大崩海岸を通りて帰宅。
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