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【日乗 平成十八年 3】
7月5日(水)
 昼休み、短大教員研修プロジェクト会議
 午後三時、科会。
 四時二十分、教育実習反省会。

7月7日(金)
 島田の後、自転車で短大に行って、十月のミュージカル『異国の丘』のチケット申し込み。

7月19日(水)
 最近、買ったもの、というより、使ったお金。
 プリンタのインク二組、一万千数百円。そのプリンタが故障したので、修理中に使う為に購入した複合機、インクつきで八千数百円(ブラザー製)。古い小型の冷蔵庫の破棄費用、九千数百円。
 消耗品が一番高く、製品を捨てる費用がそれに次ぎ、新製品の購入費が最も安い。何となく、現代を感じさせる。

7月20日(木)
 昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を持っておられたという記事が、先ず日経新聞朝刊に出て、夕刊では各紙が一面トップで取り上げた。
 その当時、宮内庁長官であった富田朝彦氏の、昭和六十三年四月二十八日付のメモで、陛下の発言を記録し家族が保管していたものだという。
 国連やG8の場で、北朝鮮のミサイル発射に対する日本の外交が一定の成果を挙げ、小泉首相退陣まで後二ヶ月という抜群のタイミングで、このメモが出てきた。「A級」という戦勝国による“括り”を文脈の中でどう読み解くかといった問題はあるものの、参拝問題などに大きな影響が出ることは間違いない。この項を書いているのは22日だが、中国や韓国は、既に敏感に反応している。分祀や参拝中止に、(対外的な屈服などでない)主体的な理由を与えることにもなるわけで、先帝の大御稜威がこの国の閉塞を打ち破ったといった想いもある。機を活かすべきであろう。
 ただ、東京裁判で、陛下に累を及ぼさざる為、東条などが身命を賭したということも伝えられている。靖国の問題とは別に、例え一時の間違いがあったとしても、こうした人々の至誠は顕彰されなければならない。

7月21日(金) 雨
 島田へ行く途中、藤枝バイパスでの出来事。ある長いトンネルに入って暫くして、ふと気がつけば、対向車線のヘッドライトは見えているものの、進行方向は、前の車の小さな赤い二つのテールライト以外、全く何も見えない状態になっている。窓を開けるなど、いろいろ試みるが、前方視界は回復しない。むしろ、様々な試みの為に走行が不安定になり、何度も道路の中間線を踏んでしまう。中間線の凹凸にタイヤが当たる、ブルブルという独特の音がして、慌てて車を左に戻す。但し、見えないトンネルの壁に対する恐怖があり、十分に左に寄ることが出来ない。蛇行を繰り返す内、対向のトラックからクラクションを鳴らされるに至る。慌てて左により、思い切ってスピードを落とし(追突される危険を覚悟していたようにも思う)、ワイパーを動かすと、視界が開けた。フロントガラス内面が曇った為かと考えていたが、曇りは外側に生じていたのであった。トンネル内が車内より高温になっていて、しかも非常に湿度が高かった為とも考えられる。(その後、心の底に沈み長く留まるような恐怖感あり)
 島田の帰途、金谷により、ジパングのノートを預かる。広島旅行の為なり。この時、金谷のバモスを少し動かす。ひるがので借りる予定の車が、バモスである為。初めて、ライフ以外の車を動かす。

7月22日(土)
 一成とクレッセで夕食の後、日本平をドライブ。霧、うすくかかる。

7月28日(金)
 日本国際青少年音楽祭。短大の担当日。今回の参加団体は、随分レベルが高いと感じられる。

7月29日(土)
 キャンパス・ウオッチング。卒業生の塩崎さん、深沢さん来ていて、飛び入りで挨拶をする。在学生の妹、母堂と共に来るなどもあり。会果てて、専攻科生、卒業生らと「そよ風」。その後、国際青少年音楽祭鑑賞の一成を、市民文化会館に迎えに行く。

7月30日(日)
 日本国際青少年音楽祭。短大の担当日二日目。自転車で行き、帰りの時刻に夕立となる。

7月31日(月)
 昨日、市民文化会館の駐輪場に残してきた自転車を取りに行く。

8月1日(火)
 富士常葉大にて、学園研修会。平沢勝栄氏らの講演など。あと、同大小会議室にて、学長を交えて、短大研修会の打合せ。

8月2日(水)
 富士常葉大にて、学園研修会の二日目。ライフを運転して東名清水インターまで行けば、清水・富士インター間、事故のため10qの渋滞との表示。一号線を利用して辿り着く自信なければ、東名に乗る。予定時刻に三分程度の遅れで到着。バスなど未着のもの多く、開始、大幅に遅れる。
 選択した研修は、三島市周辺の散策。親水公園を中心にした都市型アメニティの構築の実践例などを観る。三島という街を非常に魅力的に感じる。

8月4日(金) 晴
 ひるが野へ。今回は、母と二人。正午に岐阜羽島駅で待ち合わせ、電車とバスを利用する予定が、そのままタクシーで白鳥交通まで行ってしまう。八幡まで高速利用で一時間程度。ここで、予約してあったバモスを借り、白鳥で買い物をして十七寮へ。昨年末に工事して、今回初めて使うシャワー設備など、快適に動く。
 夜、GetByMailを利用して、ダイヤル・アップで短大研究室のPCへのアクセスに成功。

8月5日(土) 快晴
 午前中、御母衣湖までドライブ。湖畔のドライブ・インで岩魚と山菜そばの昼食。高速を利用して白鳥に出、買い物して戻る。
 三脚(数日前、エスポットで950円で買ったもの)を利用して、パノラマにする写真を各処で撮る。御母衣湖のは良からず。高鷲インターとニューパークひるが野の間にある高原らしい風景のを下に掲げる。五枚ほどの写真を「パノラマメーカー3」という、ルミックスに付いてきたソフトで処理してある。中央やや右よりの道と、左手の広い道とは、実際は直交している。



 夜、内藤さんからの教採一次合格を知らせるメールを確認。吉報、関係方面に伝える。
 深更、梟らしき声を聴く。

8月6日(日) 快晴
 広島平和記念式典の中継を見た後、瀬名に電話を入れる。一成も見ていたとのこと。
 毎朝、鶯の声がする。夕方は、蜩がしきりに鳴く。スズメバチが活動するのは、朝と、夕方の早い時刻。例年、多く出る竈馬を、今年は見ない。シャワー設備の設置に伴って、洗面所の床を張り替えたので、屋内に入って来れなくなったのかもしれない。明け方、寝室にしている奥の六畳の天井裏で物音がする。鼠なのか、梁などが温度変化の為に伸縮しているのか。
 昨日、郡上八幡の最高気温38.6度、京都の今日の最高気温38度。
 深夜、母、トイレの位置を間違え、私の部屋をノックする。上高野の家の心算だったとか。

8月7日(月) 晴
 白鳥に車を置き、長良川鉄道で郡上八幡に行く。先日のニュースの38.6度を恐れつつ行けど、風もありてさほどのこと無し。昨日は山荘にいてさえ暑さに参っていた母、元気を回復したる如し。魚寅で昼食。**ヘルペスの事件以来控えていた鯉の洗い、久し振りに食す。三年振りくらいか。

8月8日(火) 晴
 9月1日の東京宝塚劇場などへの研修旅行の件、また京都劇場観劇の件で、コトブキ観光に電話。
 研修旅行参加学生にメール送信。
 午後四時過ぎ、バモスでニューパークひるがのの最上部まで登り、写真を撮る。十年ほど前には、歩いて登った道である。

8月9日(水) 晴
 長崎原爆の日。
 朝、啄木鳥の樹を叩くような音を聴く。
 高鷲町の郵便局で残暑見舞いを出し(一成にも出した)、白鳥に向かう。覇楼館で食事、買い物をして戻る。
 当地、台風の影響なし。瀬名は少しあったらし。
 夜十時過ぎ、テレビを点ければ、NHK総合で、胎内被爆者についての特集をやっている。観る。番組の最後にタイトルを知ることが出来た。「彼は生きた〜小頭症被爆者47年の生涯〜」。少年時にABCC(これは残酷な組織だ)による知能検査でIQ62とされた小頭症被爆者の、知的な生き様に驚く。晩年、自分史を書き残そうとしたり、小頭症研究のため、死後の献体を承諾したりされている。テープに残されている会話も、非常にしっかりしたものである。原爆の後遺症に関する主題とは別に、知能検査とは一体何だろうという思いを強く持つ。
 アルツハイマーなど、痴呆症の患者の内面世界を扱った著作が、多く刊行されている。小沢勲「痴呆老人からみた世界」、クリスティーン ボーデン「私は誰になっていくの?」など。思い合わされて、興味深い。

8月10日(木) 晴
 午後五時頃、散歩に出る。この時期にも咲いている花はあり、それらを主に撮影しつつ、旧ファミリー・ゲレンデ近くまで往復。右は、その時撮った風景を加工したもの。
 NHKのニュース。戦時中、吉田久という大審院の裁判官が、翼賛選挙を不当で無効という判決を下していた、その原本が発見されたことを伝える。
 その他のニュース。海上自衛官が中国に軍事機密を流した疑いで聴取を受けて自殺。ニコンの社員が、ロシアの大使館員にハイテク情報をたった6万円で渡していた。BC兵器に利用可能な機器を、某社が北朝鮮に送っていた、など。

8月11日(金) 晴
 白鳥で買い物。
 夕日に照らされる森の風景を、十七寮のベランダから何枚か撮影。

8月12日(土) 曇一時雨
 ひるが野撤退。午前中から撤退作業。四日以来、初めての曇天。遠雷の音もする。新しい湯沸かし器の水抜きなどゴタゴタ。新岐阜へのバスは、途中、雨の中を走る。夕刻をかなり過ぎて京都着。

8月13日(日) 晴
 買い物にビブレへ。流石に暑い。

8月14日(月) 晴
 午後、奥サン、一成、来る。京都駅に出迎える。

8月15日(火) 晴
 奥サン、一成と飛鳥に行くを予定したるところ、朝、母、突然嘔吐す。眩暈もするという。富田病院に付いて行く。大事に至らず。脳のCTを撮られ、年齢より若いと言われて、機嫌よし。
 飛鳥行きは延期。奥サン、一成と三人で、三条の十字屋に行き、廉価な電子ピアノ(ヤマハP-70S 五万円台)を注文。これは、京都でもピアノの練習がしたいと一成が言った為。その後、新京極を抜け、とらやでかき氷など飲み、大丸で食品を買って戻る。
 この日、早朝、小泉総理、靖国神社に参拝す。

8月16日(水) 晴
 午後、電子ピアノ届く。夕方、Sさん来て、母といろいろの話。奥サン、我も時々口を挟む。少し遅れて、北山通りに大文字見に行く。

8月17日(木) 晴
 延期していた飛鳥行き。奥サン、一成と三人。樫原神宮前で近鉄を降り、甘樫の丘、飛鳥寺、亀形石造物、酒船石、石舞台古墳、橘寺、川原寺、亀石、鬼の俎、鬼の雪隠、猿石と巡る。一成の勉強のお付き合いながら、得るところ、きわめて多し。

8月18日(金)
 京都劇場に劇団四季「夢から醒めた夢」を見に行く。
 不愉快なことがあった。途中休憩の時、座席で一成とペットボトルのサイダーを飲んでいたら、場内は飲食禁止だと注意された。そういう指示が事前にあったかどうかは知らない。歌舞伎座や南座にはないことである。その後、手洗いに行っていた母が戻ってきた。すると、係員がまた来て、観劇中、身体を前に倒したのはなぜかと聞く。後ろの観客の邪魔になったのだという。母は、坐骨神経痛で、同じ姿勢で長時間座っていることが出来ない。先程注意を受けたこもあり、私は、病気だからそういう姿勢を取らざるを得ない、迷惑になるなら、もう帰ろうと言った。係員は、膝に掛ける毛布を持ってきた。そんなもので対処できる病気ではないと少し強い口調で断る。後ろの客に、もしご迷惑なら、前後入れ替えて座りましょうと提案したが、ここは前に身体を倒すと後ろから見えにくくなると言うことしかーつまり、自身が係員に苦情を告げたことの正当性しかー言わない。私の苛立ちを後ろで聞いていたので、防御的に自身の正当性を主張したのだと、後に考えた。奥サンが戻ってきたので、不愉快だからもう出ようと何度か言って、窘められた。結局、最後までいたが、母は、途中で立って出たくなった(立っていると痛みが和らぐ)のを、そうすると私が苛立ちながら付いてくると思って、我慢していたそうである。
 冷静に考えれば、誰が悪いわけでもない。しかし、しかし、どうしようもない不快な感情は、長く尾を引いた(四季など、しばらく見たくもないと思うが、学園の斡旋する「異国の丘」に予約が入れてある)。
 「夢から醒めた夢」、演出、発声とも一定の水準に達している。特に、交通事故で死んだ少女の母親役の声はすばらしい。しかし、開演前のロビーパフォーマンスと言い、カーテンコールと言い、押しつけがましい感じがする。特に、執拗に繰り返されるカーテンコール(本来は観客が呼び出すもの)には、観客席から呆れたような嘆声が上がっていた。これは、不快な気持ちを抱えたが故の印象ではないと思う。随分昔のことになるが、日生劇場で玉三郎の「王女メディア」を観たことがある。この時、玉三郎は十数回のカーテンコールを行った。しかし、一回ごとに挨拶の姿勢を変え、それ自体が芸になっていた。
 はねてから、駅ビルの上の鮓屋に寄る。不機嫌でいたためか、銚子を次々と重ねても、母からも奥サンからも文句が出なかったのが、せめてもの幸い。

8月19日(土) 曇時々雨
 奥サン、帰静。
 一成を連れて、近江八景を巡る。

8月20日(日)
 一成と帰静。

8月21日(月)
 午前中、短大に前期試験の成績を届け、「ケアセンター池田の街」に介護体験実習の巡回。一成は登校日。

8月22日(火)
 再び京都へ。掛川で、義父母様、聖子ちゃんと合流。夜は、ゆば泉。

8月23日(水) 快晴
 計七人で広島へ。原爆ドームなど見る。
 初めて実物を見た原爆ドームは、余りにも整備されていて、よく出来た模型を見ているような印象があった。思い出したのは、平等院の鳳凰堂である。鳳凰堂も、それを人間が利用できる実用的な建物と言うよりは、巨大な模型の印象がある。
 元安橋を渡り、平和記念公園に入る。平和記念資料館に向かい、原爆慰霊碑を通り過ぎて振り返った時、平和記念資料館・原爆慰霊碑と川を隔てた原爆ドームとが直線上に配置され、しかもこの線の公園部分が、広々としたプロムナードを為していることに気付いた(右写真・資料館の中から撮影)。つまり、原爆ドームをその先に配するように、プロムナードが造られたことになる。これは例えば、凱旋門から伸びるシャンゼリゼ通りの線上にグランダルシュを置いたのに似た、空間設計である。
 平和記念資料館を見る。被爆の遺物は、長い年月の内に保存に耐えなくなっているとかで、思ったより少ない。その代わり、プレゼンテーション技術の粋を尽くした〈きれいな〉展示がある。二十年以上前に訪れたことがあるという義母さんは、その時は余りの悲惨さに涙が零れたものだったと言っておられた。自分も、やはりその頃、橘高校の修学旅行について行って長崎原爆資料館を見ている。その時の衝撃は、ここでは感じられなかった。『黒い雨』の、井伏鱒二一流の文章を読んだ直後だったことも、影響しているかも知れない。
 売店で、峠三吉の『原爆詩集』他、二三冊を買う。

8月24日(木) 快晴
 江田島、大和を建造したIHIのドッグ、大和ミュージアムなどを見学。厳島へ。

8月25日(金) 快晴
 厳島神社など見学。京都へ。

8月26日(土)
 昼、六盛。京都駅に、金谷の義父母様、聖子ちゃんを送る。

8月27日(日)
 奥サン、一成と帰静。

8月28日(月)
 短大に寄った後、JRバスで東京へ。

8月29日(火)
 9月1日の「東京都市空間探訪」のための調査。鹿鳴館跡など巡る。

8月30日(水)
 JRバスで帰静。

9月1日(金)
 研修旅行「宝塚花組公演観劇と東京都市空間探訪」。学生16名参加。

9月4日(月)
 県立北養護学校・清水分校に介護体験実習に関わる挨拶。

9月5日(火)
 午前中、教務委員会。午後、静岡市民文化会館・中ホールの「大御所四百年祭推進会議」。

9月6日(水)
 午前八時二十七分、秋篠宮妃殿下、親王様を御出産。
 日の御子の生(あ)れ坐(ま)しし朝(あした)富士を見る高く清らかに揺るぎなかりき

 午後、教授会。大杉立さんの奥様、短大に転勤。立さんは、このHPの数少ない読者の一人。また、卒業研究を見た三浦さんも転勤。

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