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【日乗 平成十九年 1】
1月1日(月)
朝、雑煮を祝う。
奥サン、一成と三人で三宅八幡に参拝。タクシーで北野天満宮に移動し、参拝。北大路ビブレで買い物をし、二時前に帰宅。遅い昼食。
ばあばは、血圧高いとて同道せず。一成が代参。
1月2日(火)
昼食後、宝ケ池、狐坂、北山通、賀茂川右岸と辿り、ビブレへ。喫茶店でエスプレッソを飲み、買い物をして往路と逆のコースで戻る。約二時間半の長い散歩。
かつては、狐坂は自動車の通行が激しく、これを避けようとすると、急傾斜の狭い未舗装の道を通らねばならず、それでも完全には避けられるわけでもないという状況であった。つまり散歩コースとしては、宝ケ池周辺と、北山通とが切り離されていたのである。狐坂に遊歩道が整備されることで、両者が連続したエリアとなった。自然豊かな池畔からお洒落な街並みへの移動は、新鮮で楽しい。
奥サンは、近鉄デパートの店仕舞いのバーゲンに行く。伊勢丹、ビブレと巡る。
一成、勉強捗らず、RC機、飛ばしに行けなかったとか。
ばあば、血圧下がらず。
毎日、かなりの枚数、写真を撮っている。気に入ったものもある。整理し、HPで公開したいとは思っているが。
1月3日(水) 曇
南座、前進座初日。母は、血圧が高いとて、行かず。奥サン、一成と三人で行く。
『五重塔』、梅之助の「創立七十五周年記念口上」、『魚屋宗五郎』。
『五重塔』、嵐の場面で、十兵衛を呼びに来た寺方の科白が、伏線としてよく生きている。
口上で、梅之助が前進座の歴史を語って、歌舞伎座に出たことを誇らしげに言った時、何となく拍手が少ない気がした。京都の客は、東京に対する対抗意識が、心のどこかにあるのかも知れない。
『魚屋宗五郎』は、芝片門前魚屋内の場のみ。旗本に妹が手打ちになったのを嘆く芝居で、余り正月らしいとも思えない。前進座は、時々初芝居に陰気なものを出す。随分昔、『赤ひげ』が出た時、幕間に老人が二人、正月にあんなものを演っては駄目だと語っていたのを覚えている。それでも、梅雀の酔態は、けっこう笑いを取っていた。磯部の屋敷へ駆け出す宗五郎を追って、花道を小走りに引っ込む河原崎國太郎の「おはま」も、勢いが感じられていい。正月気分は細部に宿るというところか。
橋之助らが出る「三月花形歌舞伎」のチラシが置いてあった(右写真・クリックで拡大画像)が、役者が、洋服で写っている。若手の役者に対する観客の興味の持ち方が想像されて面白い。
跳ねて後、例の如く桃園亭。家に電話すると、少し気分が良くなったとかで、母も出てくる。鯉の甘酢あんかけ、久し振りに食べる。
1月4日(木) 曇
奥サン、一成、帰静。京都駅に見送り。帰途、北大路駅で地下鉄を降り、ビブレでエスプレッソ(ダブルという大盛りがあった!!)を飲み、写真を撮りつつ歩いて戻る。夜も、散歩に出かけ宝ケ池通りを撮影。
1月5日(金)
母を伴い、帰静。母の血圧下がらざる為、暖かな静岡で保養。
1月6日(土)
Hアソシアにて常葉の新年会。奥サンと出る。福島義之先生に、久し振りにお会いする。
1月8日(月)
成人の日。表に出して置いたサボテンがこの季節に花を付けている!! (右写真)。
1月9日(火)
開講。
1月10日(水)
能楽部、初稽古。図書委員会。センター入試監督ガイダンス。
1月12日(金)
母と京都へ。富田病院で診察を受け、血圧の薬を貰うため。
夜、プリンスH付近を散歩。
1月13日(土)
午前中、富田病院へ行く母に、付き添う。帰宅後、散策に出る。宝ケ池、北山通りを抜け、北大路ビブレまでの往復。二時間半程度。
狐坂から、京都タワーを撮った写真に、山頂に放送用の鉄塔らしいものが建っている山が写っていた(左写真)。後で地図を調べたところ、奈良県の生駒山であった。写真は、光学12.5倍とデジタルズーム4倍を、一杯に使って撮ったと記憶する。35mmカメラなら1750mmの超望遠である。
1月14日(日)
母と帰静。
1月20日(土)
卒業研究発表会。於731教室。
1月21日(日) 晴
常大でセンター入試の監督。
1月24日(水)
午後、右膝に違和感を覚える。帰宅後、痛み増す。貼り薬を貼って寝る。
1月25日(木)
右膝の痛み激し。膝蓋骨中央部より、両側にも拡がる。但し、静止時等は痛まず。動きによって、激痛走る。午前中、授業一コマ。午後、杖をついて北街道近くの勝又医院に行く。レントゲンを撮られる。一枚は、膝を曲げて撮る。この時の痛み甚だし。X線像に異常を認めず。靱帯を捻ったとか何とか診断され、消炎剤、胃腸薬(消炎剤の副作用を抑制するもの)、湿布薬を処方される。湿布を貼られ、サポーターを巻かれ、亦、杖をついて戻る。
1月26日(金)
右膝、少しは良くなったかと思い、ライフの運転席に座ってみる。座るに、激痛あり。アクセル、ブレーキの操作、全くかなわず。
1月27日(土)
奥サン、外でパーティで、夕食は、母、一成と天麩羅食べに出る。タクシーに乗るに、膝痛む。乗り終えれば、どうということなし。
天麩羅、過ごすにあらねど、胸に少しく痞えあり。
1月29日(月)
朝、島田の入試問題、渡す。
授業最終日。
夜、内田先生と会食。松乃鮨。お造り、やはり胸に痞えありて、全ては食べられず。後に、消炎剤の所為と思い当たる。
1月31日(水)
右膝の痛み薄らぎたれど、終日吐き気あり。消炎剤の所為かと思うも、発熱の感もあり。帰宅して測れば三十八度近く。
2月1日(木)
午前中の試験監督を済ませ、有休を取って帰宅。熱、三十七度。
2月2日(金)
夕方、電器店に行くという一成を乗せて、少し車を走らせる。熱は下がりたれど、右膝、なお若干の違和感あり。右足でアクセル、左足でブレーキなどということをする。高校訪問に、走れるかどうかのテスト。
2月3日(土)
一成の数学に付き合った(定理の証明に関しては、付き合わせた)後、一人でドライブ。膝、昨日より調子よく、高校訪問可能なりと思わる。
2月5日(月)
試験監督の後、高校訪問。袋井方面二校。予定していた御前崎方面二校は回れず。一時過ぎに出て、1号線バイパスに乗り、袋井市内で道に迷い(JR袋井駅の方角を失う)、二校目は五時に十分前に飛び込む。帰途、南下、150号線に出、せめて残り二校の位置だけでも確かめようと思えど、日落ち、凡その見当を付けたのみ。帰宅、八時を過ぎる。カーナビの必要性、ひしひしと感ず。今回初めて、好みのカセットテープを積んで(CDドライブは付いてない)走る。
2月6日(火)
図書委員会の後、残り二校の訪問。昨日程には迷わねど、やはり帰宅、七時を過ぎる。膝、何とかもつ。
2月7日(水)
教授会。
一成は橘中のスキー教室で志賀高原へ。奥サン、母を送って京都へ。
2月8日(木)
午前中、国語科教育法の補講、二コマ。午後、成績表、提出。夕方、バスで大岡山へ。
2月9日(金)
泥縄式に、翌日の文学散歩の下調べ。浅野家上屋敷、吉良邸跡など巡り、そのまま品川駅より帰静。
一成、奥サンも戻る。
2月10日(土)
歌舞伎座昼の部(『仮名手本忠臣蔵』前半)観劇と、関連文学散歩。学生三名を含む計八名。市川・青木の両先生。小林さん。一成も連れ出す。
文学散歩は、初めて巡るところを含む。概ね、好評。朝、起きた時、右膝に少し痛みを感じたが、何とか無事に済む。
2月12日(月)
数日前、ネットで三万五千円程の安価なカーナビを見つけ、お金を貯めてから買うつもりでいたところ、本日、同サイトを見れば、売り切れになっている。
2月20日(火)
二年生登校日。夜、専攻科の源平庵の打ち上げ。七間町の何とかいう店。
2月21日(水)
菊川中学に、T期教育実習の巡回。帰路、峠道を島田へ越え、市民病院に義父さんを見舞う。
(この前後、手術の問題などあり、ゴタゴタ。市民病院の看護師さん、島田での教え子多し。)
2月23日(金)
翌日まで、研修センターゼミ。学生の体調不良など、色々あり。
母、来静。
3月9日(金)
夕方、一成と大岡山へ。
3月10日(土) 曇
一成の希望で、東京駅近くのポケモンセンター、秋葉原など巡る。秋葉原、プラモの中古を売る店やRCのパーツを売る店が増えている。レジにメイド服の女の子がいたりする。この後、浅草の寄席を聴いて、夕方に船田氏と駒形どぜう(これも一成の希望)で会う予定のところ、寄席に行くには中途半端な時間になってしまう。一成の発案で、日の出桟橋にまわり、水上バスで浅草に向かう。時間調整、うまく行く。駒形どぜう、一成、気に入る。泥鰌も葱もよく食べる。
3月11日(日)
一時より、新橋演舞場にて、ミュージカル『阿国』。江戸に幕府が開かれることとなって、寂れ行く予感におびえる京都の町。消えゆく間際に一瞬明かりを増す灯のように、その京都で踊り狂うかぶき者たち。何度も再演されているだけあって、よい舞台であった。来月は南座で演るとか。京都が寂れる話だけに、どう描くか、観てみたい気がする。
夜、帰静。一成、「小さいこと小さいこと気にしない」など、劇中の歌を口ずさむ。
3月12日(月)
一年生登校日。成績発表の後、143教室でコンパ。このコンパの料理を頼みに行った時、大里先生に関し誤情報が流れ、その後少しバタバタする。
3月16日(金)
卒業式。答辞の保育科の卒業生、思い出を語って、涙で声を詰まらせる。壇上の稲葉先生、目頭を拭うことしばしば。
3月17日(土)
午前中、橘高校の和敬庵にて能楽部の練習。来年度に残るのは部長一人。いろいろ部員確保の作戦を練る。
小さなフラワーアレンジメントとデコレーション・ケーキで結婚記念日。ケーキ屋さんに桜井君がアルバイトをしていて、チョコのプレートに、随分丁寧に文字を書いてくれた。奥サンから、膝のサポーターを貰う。
3月20日(火)
午前中、教職関係の教務委員会。午後、二時間に分けて、「作家と時代」の再試験。
二三日前に発注したカーナビ(BZN-100)届く。2月12日に売り切れになっていたもの。ネットで探せば、どこかで同じような値段で売っている。
3月21日(水)
十一時半より、中島屋の四季にて三人会(福島先生の退職記念の会)。但し、まだ特任教授で続けられるよし。
3月22日(木)
一般入試後期日程。専攻科入試。
昨秋以来、無数にあった入試、やっと終了。
3月23日(金)
母と一成を乗せて、エスパルス・ドリームプラザに行きがてら、カーナビをいろいろ試してみる。リルートも音声案内も、とてもいい(安物を買うと、期待値が低いだけに、満足感が高くなるのかも知れない!?)。
3月24日(土) 雨
名古屋市で行われる「ロボカップジュニア東海大会」に、一成が出場するので、付いて行く。会場は、海浜部にある稲永スポーツセンター。九時半頃には到着していなければならず、五時台に起きて行く。昨年十一月三日の静岡大会でチームを組み、今回もチームを組む小学六年生の○○君も、お母さんに連れられて来ている。
レゴを使ったロボットから、世界大会を狙う高度なものまで、多様なレベルのロボットが、二台一組のチームを組み、総当たりで対戦する。見ている内に、ロボットの動きに必然性のあることが分かってくる。少し大げさな言い方をすれば、自律的に行動する、ロボットの心が見えてくる。そうなると、面白みが増す。(右は開会式の様子)
ちなみに、前日、夜遅くなってからバタバタと準備をしているのを見て、何となく切なくなった。受験になれば、これに数倍する切なさを感じるのかとも思った。
残念ながらというか、予想通りというか、全国大会には行けず。
ロボットとPCを持ったまま、京都に向かう。奥サンと母は、直接、京都に行っている。
3月25日(日) 晴
昼食に、家族で大徳寺の泉仙に行く。鉄鉢料理(精進)の店。食後、境内を歩く。石田三成の墓所などもあり。松の緑の間の石畳に歩を進める心地よさ。そんなことを感じる年齢になっていることに、少し驚く。今宮神社に立ち寄り、門前の茶店であぶり餅を食べて戻る。
3月26日(月) 晴
奥サン、一成と三人で、奈良、斑鳩方面に出かける。薬師寺・唐招提寺・法隆寺を観る予定。
薬師寺金堂にて、僧の解説あり。塔、金堂、講堂の関係など、興味深い話を聴く。
亦、高田好胤による伽藍再建の話も聴く。佐々木信綱の「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」は、ずいぶん索漠とした景色の中で詠まれたのだと、思い至る。
平山郁夫の大唐西域壁画も観る。素朴に見えながら、奥行き深く、見る程に引き込まれる素晴らしい絵である。本物を観た後では、とても絵葉書や画集を買う気になれない。
玄奘三蔵院伽藍に至る道に、岐阜の淡墨桜が移植されて、花を付けていた(左写真)。
昼食は、草ノ戸(くさのえ)という店。1200円のセット。茅葺き屋根の建物なれど、宮様も訪れられたというだけあって、店内、食事とも、なかなかのセンス。我々の後方の席には、障害児と、その母親らしい二人連れがいて、母親らしい人が、鋏でおかずを小さく切っては食べさせていた。母親らしい人は若く、子らしきは老人に見える。子だと思ったのは、ピンクの可愛い髪飾りをつけていたからである。客は少なからずいたが、店内は静かであった。
唐招提寺は金堂のリフォーム中。工場のような仮設の建物に全体が覆われている(右写真)。それでも南大門の簡素な風情などは、味わうことが出来た。芭蕉の句碑なども見る。
法隆寺は、又のことにして、京都に戻る。

国際会館駅で地下鉄を降り、宝ケ池通りに出た時、ちょうど八瀬からのケーブルカーが、比叡山の山腹を登って行くのが見えた。その写真も、超望遠で撮れたので、ここに載せておく(右)。横は、翌日、宝ケ池通りから東に向かって比叡山を撮ったもの。ケーブルカーのルートを、黄色い線で示した。
3月27日(火) 曇時々雨
午前中、四人で北区役所。
3月28日(水) 晴
三田屋で昼食後、奥サン、ばあばは高島屋へ。我は、一成を連れて散歩。宝ケ池でボートに乗る。暖かな日で、我々が乗った頃から、ボートが随分出た。その後北山通りまで歩き、喫茶店で一成はパフェ、我はビールを飲んで、地下鉄で戻る。家の前で、タクシーで戻ってきた奥サン達に会う。
右膝を痛めてから、長距離の散歩は、初めてだと思う。
3月29日(木)
早朝、「ひかり」で帰静、2〜4限、国語教育ゼミナール。帰宅すれば、奥サン、一成、ばあばも戻っている。
3月31日(土)
11時半頃、和室の能楽部の稽古に顔を出す。学生は、卒業する前部長の野中君と、新部長のみなもさんしか来ていない。
五十七歳になる。
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