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【日乗 平成十九年 3】
8月11日(土) 快晴・猛暑
また、二ヶ月半近く更新を怠っていたことになる。この間にあったことを簡単に(日付が一字下げの部分)。
6月2日(土) 保護者会。
6月7日(木) 橘中高にて授業研。助言講師を務める。一成の教室も覗く。井出先生の授業はすばらしい。田中っちゃん、面白い答えをする。
6月9日(土) 翌日まで、國學院にて国文学会。10日、荷風について発表をした若い院生に、質問をする。帰り際、挨拶に来る。少し話をする。この二日の間に、歌舞伎座と末広亭に行ったと思うが、記憶不確か。鳴呼。
6月20日(水) 北街道の「さくら眼科」に行く。この日が二回目の診察かと思う。一週間ほど前、突然、右目が痛み出す。涙が出、瞼が腫れ、眼球に強い圧迫感あり。細菌性の何とかいう緑内障だとか。眼帯を人に尋ねられて、緑内障と答えれば、驚いた顔をされる。ただ、緑内障には厖大な種類があり、こうした急性のものは失明に至らないのだと、本当か気休めか、診察時に説明を受けた。もう十分に美しいものを見てきた目である。昭和六十年代の、全盛の玉三郎さえ見ている。お役ごめんになっても思い残すこともあるまいと、大事に至らぬ気楽さから、大事の場の潔さを思ってみたりもする。通院は28日まで続いた。点眼は、今もしている。
6月27日(水) 教育実習反省会。この後、教員採用試験(一次)に、加藤さん合格!
7月3日(火) 教授会。あとHアソシアでサマー・パーティ。昔はビア・パーティと称し、ビアホールで行っていたもの。
7月13日(金) 午前中、島田。二時半より眼科。四時二十分より「作家と時代」の補講。
7月17日(火) 二時間目、「作家と時代」の補講。金曜日と同内容。二回行ったのは、学生の出席の都合を考えてのサービス。但し、同内容のつもりが、そうも行かず。
7月28日(土) キャンパス見学会。
8月1日(水) 学園研修会初日。分科会で「国語力のもたらすもの」と題し、話す。
8月2日(木) 学園研修会最終日。久能山東照宮の見学なども行う。久能山、日光の位置関係などにつき、興味深い話を聞く。亦、久能山より三保の見渡せぬことを、宮司さんより聞く。予定している「三保景勝論」のヒントになるか。夕方、一成と東京へ。
8月3日(金) 一成の希望で浜松町の「ポケモン・センター」に寄った後、日比谷、日本橋、浅草と巡る。26日の研修旅行の下調べ。途中、東京駅の大丸のスエヒロでステーキ・ランチ。豪州肉で2100円。しかし、バターを塗り、レモンと醤油で食べる、京都河原町に店があった頃からのスタイルが残っているのは嬉しかった。
8月4日(土) 帝劇の『ラ・ミゼラブル』を観る。これを観るのは二度目。一度目よりは楽しめたが、最初から最後まで暗い(照明が)舞台は、何とかならないか。あと、渋谷のロゴスキー。
夜、大岡山商店会の盆踊り大会に行く。帰りて、クーラーの故障を発見。
8月5日(日) 朝、電器店の開くのを待って、エアコンを注文。東京滞在中には、とても工事は出来ないとのことで、管理人室に預けた鍵で、勝手に入って取り替えて貰うことにする。クーラー、大岡山のマンションに入居した翌年に購入したもの。35年、動き続けたことになる。
末広亭にて船田氏と待ち合わせ。二子玉川に出て、高島屋で食事。あと、自由が丘まで歩く。夜の等々力渓谷も半分ほど歩く。
今回の東京行き、スエヒロ、ロゴスキー、等々力渓谷(半分)と、一成を連れて行きたいと思っていたところを、かなり巡ることが出来た。
8月6日(月) 京都へ。但し、新幹線に乗る前に、浜松町の「ポケモン・センター」に再度立ち寄る。JRがポケモンのスタンプラリーなるものをやっていて、今回、随分付き合わされた。その総仕上げ。親に連れられて、ポケモンのスタンプラリーを行っているのは、小学校低学年以下の幼児がほとんどである。一成は中学三年。堂々と彼等に交じってスタンプを押している。
上高野に着けば、奥サン、既に静岡から到着している。ばあばは、七月の末に来ている。
広島の原爆記念日。その事に気が付いたのは夜になってから。慚愧。
8月8日(水) 晴 奥サン、一成と三人で比叡山に登る。八瀬から、ケーブルカー、ロープウェイと乗り継いで行く。
十数年振りに行った比叡山は、山頂遊園が、「ガーデンミュージアム比叡」という、少し大人向きの施設に変わっていた。フランス印象派画家たちの作品をモチーフにした庭園美術館、とのことである。それでも、ケーブルカーからロープウェイに乗り換える処には、かつて山頂遊園にあった「土器投げ」が移ってきていて、昔のように子供達(大人もする)を遊ばせてくれる。麓の八瀬遊園もなくなり、「XIV京都 八瀬離宮」という会員制のリゾートホテルになっている。
バスもあったが、ガーデンミュージアムから延暦寺まで、杉木立を縫う山道を歩く。延暦寺は、山内の道が舗装されており、ライトアップのための照明器具が連続的に配置されている。浪人生の頃、祖母と来て、道の傍らの柵にエダナナフシがいたのを思い出した。
仏教系の学校の生徒らしい少年少女の団体に西塔で出会い、その同じ団体に東塔でも出会った。何か研修ででもあろうか。堂宇では神妙に説明を聴いているが、休憩時には子供らしさが顕れる。
延暦寺会館という宿泊可能な施設がある。ここに泊まって、この寺域の朝を体験してみたいと、ふと思った。
京阪バスで、東塔地区から四条河原町へ。高島屋に立ち寄り帰宅。
【写真】左から、ガーデンミュージアムに作られた人工池。奥に橋、右手にボートが見える。左下には、睡蓮の花が開いているが、ここまで縮小すると見えない。次は、延暦寺に向かう途中の見晴らし。その右は、西塔地区にあった立て札。「法華堂において修行中」とある。そして、その法華堂(渡り廊下右手の建物)。右端は、西塔地区のバス停付近に現れた野生の鹿。
8月9日(木) 晴 湯豆腐を食べに「順正」へ。一成が、京都・奈良へ研修旅行(修学旅行)に行った時、ここの食事がコースに入っていた。有名な店で、大人の方は一度も行ったことがなかったのを、これをきっかけにとして、出かける。ところが、改装か何かで休み。産寧坂を歩く。竹久夢二寓居跡など見る(右写真・立て札の部分をクリックすれば、文字が読めます)。
8月12日(日) 晴
四人でひるが野に向かう。奥サン、一成は三年振り。岐阜からの高速バス、渋滞に巻き込まれ、一時間ほどで着く郡上八幡まで、三時間以上かかってしまう。
例によって、白鳥交通でレンタカーを借り(今回はダイハツ・ムーブ)、十七寮へ。高鷲町に入る手前にある温度計、35度を示している。30度以上になることは、滅多になかったものである。23日までの滞在中、あちこちで、今夏の暑さが異常であると、聞くことになる。
十七寮、テレビデオの電源入らず。トイレの照明も壊れている。
8月13日(月) 晴
白鳥町の簗場に鮎を食べに行く。途中、白山電機に寄り、照明の修理を依頼。アナログTVと、アナログビデオ(両方で二万円程度)を買う。十七寮のあるニューパークひるがのの内、白山電機が共同アンテナを建て、ケーブルにて電波を配信す。アナログ放送終了後は、地デジをアナログ変換し配信の予定とか。
簗場からの帰路、鷲ケ岳山麓のホテルに立ち寄る。父親(母と離婚した)の遺産分割で十七寮(その時の名称は、ゆずの木山荘)を相続した時、これを見に行って泊まり、以来、訪れることもなかったホテルである。鷲ヶ岳高原ホテルという名前であるが、その当時は「ひるがの高原ホテル」といったと記憶する。ジュース類を飲み、「ひるがの高原牛乳」を買って戻る。
帰宅し、TVとビデオを設置。画質、以前の状態ならず(二ヶ月ほど前の落雷で、共同アンテナからのケーブルが被害を受けたため。テレビの電源が壊れていたのもそのためと、後に判明。回復)。
8月14日(火) 曇時々雨
ダイナランドのゆり園に行く。スキー場を夏の観光資源にするため、ゲレンデ一面に百合を植える。大して期待もしないで行ったが、霧雨の中の百合の群落は見応えがあった。レストランの1500円のバイキング、種類も味も充実している
8月15日(水) 晴
母、一成と三人で郡上八幡に行く。白鳥まではやまびこロードを走る。途中、明野高原にて写真を撮る。一度、撮りたいと思っていた場所である。白鳥に車を置き、タクシーにて八幡へ。帰路は八幡から白鳥まで長良川鉄道を利用す。八幡の町、徹夜踊りの時期なれど、昼間は余り混まず。
終戦記念日。小泉前首相、靖国神社に参拝。現閣僚の内、一名のみ、遅れて参拝。他は詣らず。現内閣、何事も中途半端。
8月16日(木) 晴
夕方、一人で買い物に山を下りる。湯の平温泉に立ち寄る。
8月17日(金) 快晴
東海北陸自動車道を高山に向かう。景色雄大にして快適。高速道路の日本最高地点(海抜1085m)を通る。高山に入り、飛騨民俗村、高山祭屋台会館、その近くのからくり人形の実演を見せる施設を見学して、今夜の宿・宝生閣に入る。
夕食後、高山の町を歩く。高山陣屋前の盆踊りを見る。
8月18日(土)
まつりの森、高山陣屋などを見学。「バグパイプ」という喫茶店でジュースを飲み、自家製ケーキを食べる。
高山の町、非常に魅力的である。書きたいことは山ほどあるが、疲れて……。
夕方近く、静岡に帰る奥サン、一成、母を高山駅に送る。昨日のコースを逆にひるが野に戻る。山荘に入って奥サンに電話すれば、列車は美濃太田に着くところだと言う。
8月19日(日) 曇時々雨
夕方近く、白鳥まで買い物に出る。スーパーの駐車場に車を入れて、右側面と背面の窓にナナフシ(?)が二匹、とまっているのに気が付く。山荘から付いてきたらしい。
帰路、鷲ケ岳温泉に立ち寄る。
エダナナフシは、無事に山荘まで連れ帰れたと思う。思うというのは、山荘に到着した時には日が暮れていて、しかも雨が降り出して、あわてていたため。
8月20日(月) 晴
午後遅く、船田氏を白鳥駅前に出迎え。夕方、白山電機が照明器具やビデオの修理に来るとのことだったので、帰宅を急いでいたところ、電話が入る。修理が終わったとのこと(不在の場合は、管理センターで鍵を借りて、勝手に直してくれと言ってあった)。それならと、鷲ケ岳温泉に向かう。入浴後、隣接する鷲ヶ岳高原ホテル・レインボー(13日に行ったホテルの別館のようなものか)のロビーで時間を過ごす。ロビーから落日の写真を撮り、さらに、外に出て白山の写真なども撮る。
8月21日(火) 晴のち曇
朝から蝉が鳴く。船田氏、エゾゼミだという。朝食後、白川郷に向かう。途中、御母衣湖のドライブインで休憩。隣接するキャンプ場などを歩く。昨年、母と訪れた処である。この休憩、約三十分を含め、二時間程度で白川郷に到着。食事、見学。奥サンが、高山の朝市で買った朴場餅が美味しかったので、あったら買ってきてくれと言っていたが、見つからない(後に白鳥でも探したが、売っていなかった)。
帰途、荘川桜を見、満天の湯という温泉に入る。
8月22日(水) 曇時々雨
船田氏は、午後五時のバスで帰る。それまで、どうするかと相談して、湿原植物園に行くことにする。夏果つる風情を楽しもうというのである。その前に、ニューパークひるが野の中を見てみたいとのことで、あちこち車を走らせる。最も高いところで車を降り、ログハウスの横を抜ければ、ゆくりなくゲレンデの真ん中に出た。稲科の雑草の波の上を蜻蛉が飛び、草の底では秋の虫が鳴いている。遠く小さく、牧歌の里の施設が望まれた。その周囲は、テーブル状の台地となっていて、手前に、大きく渓谷が切れ込んでいる。それが分かるのは、切れ込みの間から雲が立ち上るからである。雲の立ち上りによって、同色の山林の連続の中に、渓谷の存在が知られる。背後に山並みを背負い、渓谷に区切られた台地。高原というものの一つの構造を、はっきりと知ることが出来た。
ニューパークの門を出て、ひるが野方向へと道をとる。この時、小動物が左手の草むらから現れ、車の前を横切って、別荘地内に消えた。栗鼠であった。
キッチン・ブレーメンの羊肉で昼食と思っていたところ、閉めている。軽食を出す店はあるが、余り心を動かさない。牧歌の里ならレストランがあるからと提案して、そちらに向かう。昨日、白川郷へ行く途中で傍らを通った時、入園者の姿のない牧場に馬が草を食んでいる様子の、印象に残っていたからでもある。
今日は随分、客がいた。しかし、園内の広さは、五月蠅さを感じさせない。わずかに黄葉を始めた鈴掛の小径を歩く。風は、既に夏のものではなかった。
白鳥の「そば勝」にて蕎麦を食べている途中に夕立。あがりて、船田氏を送る。夜、雨音はげし。
8月23日(木) 雨そして霧
六時過ぎに目覚める。ひるが野撤退の日である。常夜灯にしている玄関の蛍光灯が消えている。停電の中で、懐中電灯を手に、片付けと荷造りを始める。カーテンを開けても、雲厚く霧も出て、なかなか明るくならない。
宅急便で送る荷物を作り、ゴミを分別し、湯沸かし器、トイレなどの水抜きを行う。
電気は、八時半頃に回復するが、テレビは点かない。十時を過ぎて白山電機に電話すれば、亦、共同アンテナが落雷でやられたという。
撤退作業は、一時半頃までかかってしまう。この間、冷蔵庫の隅に残っていたチーズ二片ばかり食べたるのみ。
レンタカーを返し、白鳥の駅前に来てみれば、この辺りは木曜が定休日らしく、食堂、片っ端から閉まっている。岐阜行きの高速バスは、昨日船田氏が乗った、五時発のものがあるのみ。仕方なく物産館の方へ歩いて行けば、奥美濃大橋近く、「日高」というレストランが営業していたので、そこに入る。皿の中に鶏ちゃん、ご飯、カレーが三列に並んでいる「奥美濃カレー」というのを食べ(結構いける)、ビールとサワーで四時過ぎまでねばる。
後は、鉄道との接続も順調で、九時頃、瀬名に帰り着く。
8月24日(金) 晴
午前中、弁護士会館の法律相談に行く。昨日、ひるが野撤退作業の途中、電話で予約を取ったもの。余り、よい話も聞けず(これに関わる件については、何れ詳しく書き残しておきたいと思っている)。
昼、金谷のじいじ、ばあばも来て、高山から送らせた飛騨肉でしゃぶしゃぶ。郡上八幡で買った「蔵の風」大吟醸も届いていて、母と呑む。
じいじが、デジカメのデータ処理とワープロをしたいとのことで、ネットで適当な中古PCを探して注文する。
8月26日(日) 晴
ワークショップ「東京宝塚劇場観劇と宝塚歌劇前史をたどる文学散歩」。参加(一部参加を含め)三十八名。現役の学生さんの他に、先生やOGもいる。仕事や単位を離れたところで、こうした催しを楽しんで下さる人々がいる。とても嬉しい。今の現役生達も、やがてそのようであってくれればと願う。
8月27日(月)
午前中、じいじのパソコン届く。メモリを増設し、必要なソフトを入れ、無線LANカードを付けて、午後、金谷に持って行く。
すぐに戻るつもりが、金谷のLANにパスワードがかかっていて接続出来ない。結局、聖子ちゃんのPCを含め、一からLANを組み直す羽目になる。その後も、ADSLモデムのノイズがアクセスポイントに影響を与えている問題なども出て、結局、金谷でお泊まり。

8月29日(水)
小野田先生の御尊父様、胃ガンにて御逝去。享年七十歳。六時半よりお通夜。
8月30日(木)
自宅の裏の家が、建て替えか何かで取り壊し中。自分の家を裏側から見る機会は、こんな時しかないので、葉書を出しに行った序でに、写真を撮っておいた(右)。
夕方、昨日から伊東へ遊びに行っていた、金谷のじいじ、ばあば、聖子ちゃん、お土産を届けに立ち寄る。自分は、サボテン・金鯱の鉢植えをいただく。十四年ものだとか。
9月1日(土) 晴

母、一成と、エスパルス・ドリームプラザに行く。3Fのカフェソレイユという喫茶店であんみつを食べていたら、突然、右手の倉庫群の間から、護衛艦が現れた。灰色の艦体、ヨットや漁船の中に、圧倒的な迫力である。港内を、かなりの速度で抜け、三保半島を迂回して去って行った(写真、左→右)。艦番号171のDDG(ミサイル搭載護衛艦)「はたかぜ」であった。
9月3日(月)
修了論文指導。教務委員会。あと、草薙の県立図書館に、本を借りに行く。
9月4日(火)
修了論文指導など。夕方、絵葉書を買いに、羽衣の松近くに行くも、土産物店は全て閉まっている。いろいろ写真を撮って戻る。
9月5日(水) 曇のち雨
教授会。夜、台風接近に伴う雨。
9月6日(木) 雨
二時半頃、研究室にて専攻科の終了論文の指導をしていれば、台風接近のため、学生は早急に帰宅するようにとのアナウンスがある。先生方も、帰宅する多し。自分も、三時前に帰宅。
夜、雨いよいよ激し。書斎にいて、ふと気がつけば、天井から机の前の壁にかけて、雨水が染みてきている。建築当初から、リビングの雨漏り、書斎北側の壁面の雨漏りと、雨漏りの多い家である。毎回、補修をさせているが、今回は新しい場所である。バルコニーが三カ所あり、全てその下方の位置に発生している。
9月7日(金) 晴
島田、夏休み後の初日。終わって金谷に寄り、じいじのコンピュータの手助け。巨大な熊のぬいぐるみを、車に積んで戻る。これは、結婚一年目、奥サンと街を歩いていた時に見つけ、思い付いて聖子ちゃんに贈ったもの。今回、場所をとるので返却となる。昔は、気楽なことをしていたもの。
9月8日(土) 晴
母と一成を伴い、日本平、清見寺と巡る。日本平は霧。風ありて、激しく流れる。観光ボランティアの人がいて、いろいろ話を聞くことが出来た。清見寺でも、話を聞くことが出来た。三保半島を望み、五百羅漢も見る。
9月9日(日) 晴
静岡青年祭の芸能部門の審査に、掛川へ。東名を急ぐ。ふと気がつけば、スピードメーターが120kmを指している。
9月10日(月) 雨
朝、雷鳴もする。短大研修会初日。終了後、図書委員会。
9月11日(火)
昨夕、仮眠のつもりが、そのまま寝入ってしまい、午前四時過ぎに目が覚める。寝室は網戸のまま。虫の声、頻り。
9月19日(水)
追再試、入試問題の検討会など。
夜、稲葉先生、瀬戸先生来訪。お食事会、兼飲み会。
この前後、頻繁に修了論文の指導。
9月27日(木)
御前崎〜浜松方面の高校訪問。四校回る。走行距離203q。終了後、悦子さん(腹違いの妹)に会おうと電話するが、不在。帰途、牧之原SAに立ち寄る。車内で休んでいると、ドアを叩く者がある。二三十代の丸顔の男。ヒッチハイクをしているが、乗せてくれないかと言う。少し迷ったが、断る。悪人のようでもなかったが、こんな時代である。
9月28日(金)
朝、インターネットで注文した腕時計が届く。これは奥サンへのプレゼント。三日ほど前、昔々シンガポールで買った時計が遂に故障したと、言っていたので。故障したのはイブサンローランのもの。今回のは、セイコーのソーラー電波時計。
夕方、散歩のつもりでエスポットまで往復。エスポット近くの街路樹の灌木に、この秋はじめて青松虫の鳴くを聴く。但し、静岡の最高気温34.6度で、全国一だったとか。
平成十九年十月へ
日乗目次へ
大腸亭日常表紙へ