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【日乗 平成十九年 4】
10月1日(月)
後期開講。
※ここから暫くは、11月に思い出して書いている。
この前後、修了論文の指導、連日。
この頃、読んだ本。松本清張『黒地の絵』。昭和25年7月に、北九州小倉で発生した、米兵の集団脱走事件を描いた作品である。基地から脱走した数百人の武装米兵によって、暴行・略奪が行われたにもかかわらず、占領下であったためか、ほとんど報道が為されなかった。『黒地の絵』は、小説ながら、この事件を記録に留めた貴重な資料である。
10月11日(木) 晴
小渕さんの教育実習(研究授業)の巡回に、佐久平へ向かう。
午前中に出発。静清バイパスを、興津側手前で左折。国道52号線、所謂「身延道」を北上する。鰍沢という地名表示に出会う。三遊亭円朝の『鰍沢』の舞台となったはこの辺りかと、車を停めて写真を撮るなどす(左・富士川畔)。さらに北上。道は山に入りて曲折多し。抜けて、南アルプスICに入り、中部横断自動車道に乗る。整備中と見えて、片側一車線の高速道路。走行する車少なく、両側のフェンス迫りて、ジェットコースターのような印象あり。双葉ジャンクションから中央自動車道に入る。前方に、また右手に、八ケ岳の山容近付く。信州に来たるを実感す。須玉ICで降り、国道141号線を、高原の風景を満喫しつつ走る。何とかいう農園が経営している食堂で、親子丼の遅い昼食を摂り(卵が濃くて、美味)、三時半頃、今日の宿泊先である佐久平駅近くの東横インに到着。
四時にチェックインし、さすがに疲れて、しばらく寝てしまう。
起きて、食事に出る。巨大なジャスコが出来ていて、その書店で、宮部みゆき『楽園』上下巻、国語辞典を買う。国語辞典は、明日の授業見学に備えて、持ってくるつもりで忘れてきた為。
蕎麦屋に入る。大きくて綺麗な店。佐久は鯉の名産地で、「洗い」がある。これを肴に酒を酌み、『楽園』を読み始める。ホテルに戻っても読み続け、深更に至る。
10月12日(金) 晴

10時にチェックアウト。研究授業は、1時45分から。車を駅前の駐車場に置き、散策。マンションの建ち並ぶ、街路樹を植えた歩道が両側にある道は、すぐに尽きて、稲刈りの終わった田が広がっている(右写真・右端は歩道の尽きた処から撮った田園風景)。新幹線の駅が出来て、新しく生まれた街であることが分かる。昨夜は、新幹線が停まる度に、東京に通勤しているらしい背広姿の人々が、随分降りてきていた。
立科町立立科中学校に向かう。
立科中学校、校長先生のお話によれば、雲がなければ、南に蓼科山、北に浅間山が望めるという。臙脂色の瓦屋根(左・校舎内から撮影)で、木下恵介の映画にでもありそうなと感じたのは、あるいは思い込みの所為かも知れない。
研究授業、厳密に考えれば読解に若干の不満は残るものの、よく声が出て、クラスを掌握していた。
終了後、ご指導の臼田先生を交え、簡単な反省会。臼田甚五郎先生のこと、そぞろに思い出されて、そんな話もする。
三時を過ぎて、帰途に就く。途中で夜になることを考え、カーナビの設定を高速優先にする。ところが、高速の入り口の手前に、案内者がいて、四時を過ぎないと入口が使えないので、迂回してくれと言う。狭く、曲折の多い山道を走る。途中、所々に交通整理をする人が立つ。小動物の死骸を烏がつついている場所もある。前からはダンプ、後ろからはベンツ。ずいぶん長い時間を掛けて(と感じた)、中央自動車道に出る。諏訪湖を左に見て走る。
夜に入る。SA、PAでなるべく小憩をとるようにして走る。甲府南インターで降り、精進湖、本栖湖の横を抜ける。これも大変な山道。高速優先を設定した意味、全くなし。西富士道路から東名に入り、富士川SAで夕食に海老フライカレーを食べて帰宅。
往復430q。よくぞ生きて帰ってきたもの。お土産いろいろ出せば、奥サン、ご機嫌極めて悪し。亭主が出張で疲れて帰ってきたのに、と言えば、何でそんなに楽しそうなの、と言う。ロングドライブは確かに楽しい。達成感もある。
10月13日(土)
学園内入試。入試の季節始まる。
10月19日(金)
午前中、島田へ入試問題を届け、平常試験の答案を受け取って戻る。ここでも、佐久まで走ったと自慢をする。
10月20日(土)
体験入試・奨学生入試。
10月30日(火)
之山忌。式典の後、『夕凪の街桜の国』の映画鑑賞。作中「(原爆は)落ちたんじゃない。落とされたのよ」といった科白がある。六十数年を経て、ようやくこれが言えるまで、日本人のトラウマが回復したのかとも思う。
また、こんなことも考えた。
幼児に虐待を受けた者は、大人になってもその記憶に直面出来ない場合が多い。日本人にとって、原爆は、この幼児期の虐待に似ている。もちろん、歴史的事実は、個人の記憶のように、無意識の領域に追いやるわけにはいかない。とすると、十分には納得のいかない物語を、延々と作り続けるしかないことになる。誤解のないように言っておくと、「十分には納得のいかない」とは、作品の出来に由来するものではない。作品の主題が、余りにも困難な覚悟を、(日本人の)観客や読者に要求することから来るものである。
問題の簡単な解決法は、日本が核武装して、米国と同じ「核攻撃の権利」を手に入れることである。しかし、これが出来ないのは、こうした形での報復感情の解放が、同時に、日本人が心のどこかに封印してきた屈辱感を、白日の下に晒すことになるからである。理想は時々、自己を偽るための道具になる。全面的にではないが、戦後日本の平和主義にも、そんな機能があったような気がする。
夜、藤枝にて、大杉立さんのお母上様の通夜。
11月3日(土)
推薦入試。指定校入試。
11月6日(火)
「ひるが野・夏の写真帳」をアップロード。ニューパークの掲示板にも案内を出す。
※11月8日、ここまでの記述完了。
11月8日(木)
夜、近藤さんより電話。心筋梗塞で東京(横浜?)で倒れ、現在、静岡病院に入院中。明日、手術だとか。看護師さんに付き添われ、車椅子でロビーに出、公衆電話からかけておられるとのこと。
11月9日(金)
橘香祭準備日。日文2Bは、テニスコートで揚げタコ焼き屋。
11月10日(土) 曇
橘香祭。母と一成来る。一成、ブラスバンドの指揮体験をさせてもらう。
11月11日(日) 晴
橘香祭二日目。卒業生の集いもあり。終わる頃、揚げタコの店に居れば、奥サン、一成来る。
クラス役員ら、遅くまで研究室にて売り上げの計算など。
11月17日(土)
高大連携教育、「歌舞伎を楽しむ」の一回目。
この準備をしている時、前日も含めて、全く集中できなくて困った。慣れたテーマだった所為もある。
静岡病院に近藤さんのお見舞。あと、中島屋で家族と待ち合わせ、中華。
11月19日(月)
16時20分、影山先生、研究室に来訪。橘中高、空手道部の旗の文字を、柿下先生に書いていただく件で打合せ。
11月21日(水)
午後、Hアソシアにて、短大主催の企業説明会。
11月23日(金)
夜、悦子さんの息子より電話。例の件。弁護士との連絡、余りスムーズでない様子。
11月28日(水)
科会にて、杉山学さんの入院を知らされる。
11月30日(金)
夕方より、静岡市民文化会館にて、文化講演会・芸術鑑賞会。
マルタ・ジャズ・クインテット.plusのスペシャルライブ。テナーサックスが歯切れ良く、さすがに素晴らしい演奏。
12月1日(土)
高大連携教育、「歌舞伎を楽しむ」の二回目。
12月3日(月)
16時20分、影山先生、研究室に来訪。奥サンも来て、旗の文字の件で打合せ。
12月5日(水)
修了論文発表会。
12月7日(金)
3時限目、杉山学さんの代講。「報道と言葉(報道と女性)」。
午前中、昨日ネットで注文したプロジェクターが届く。52500円+送料。新製品として売り出された時は五十万円以上していたもの。現在でも、ネット通販で三十数万円で売られていたりする。買ったのは、大阪の中古PCなどを扱っている業者。夜、試験的に襖に投射してみる。一成が、ノートPCを持ってきて、画面を出してみたりする。プロジェクターは、京都に置いて、大画面を楽しむ予定。
12月8日(土)
開戦記念日。大詔奉戴日という言葉があるが、開戦を記念して毎月八日をこれに定めたもので、十二月八日だけをさすものではない。今日を、特にそう呼べないのは、こういう熟語の持つ荘重な雰囲気が好きなだけに、残念な気がする。
入試。正午より、学長室にて、シトラス文学賞表彰式。最近、大学を通じて買ったデジカメ、DMC-FZ18の初仕事。トラブルの発生に備えて、使い慣れたTZ1も持って行く(使わず)。
夕方、松乃寿司。帰宅して、奥サンから早めのXマス・プレゼントの配付。手作りのクッション貰う。
12月9日(日)
金谷の義父母、聖子ちゃんも出てきて、七人でHセンチュリーの中華のランチ。DMC-FZ18のファミリー・デビュー。
帰宅してすぐ、奥サンから、聖子ちゃんについていい話を聞く。
12月10日(月)
2時限目、杉山学さんの代講。「シナリオと戯曲(映像文化史)」。
12月12日(水)
一成と奥サン、橘中の三者面談。
夕食後、一成の誕生パーティ。十五歳になる。
夜、九時頃、洗濯機を買いに行くのを忘れていたと奥サンが言い出し、コジマに行く。十数万円のドラム式のものを買う心算でいたところ、縦型の六万円台のもので済んでしまう。金額のこともあるが、ある程度の節水、洗濯物の取り出しに腰を屈める必要がない、乾燥機は不要といった条件を考慮して選択した結果である。
ある種類の商品を買う場合、その中で安い品を選ぶ方が、店員さんの応対が親切になる場合がある気がする。昔、京都の四条通の店で、ミーシャ(玩具メーカーのトミーが作っていたデジカメ。六千円程度)を買った際、隣に高価なカメラやレンズをもとめる若者がいたにも関わらず、ささやかな買い物をする中年男に、丁寧に対応してくれた。利益への留意より、人生への共感が勝つのかも知れない。経済の論理に反するようであるが、こうした精神が失われれば、結句、経済は駄目になるように思う。
12月13日(木)
夜、大岡山へ。
玄関とDKの照明、取り外されていて、裸電球がぶら下がっている。DKと風呂場の天井は張り替えられている。夏から秋にかけてマンション全体の排水管工事があり、鍵を預けておいたのだが、どうやら工事の後、照明を付け忘れたらしい。DKと風呂場の天井は張り替えられている。
やはり、留守中の工事を依頼しておいたエアコンは、設置されていて、無事に動く。
12月14日(金)
朝、管理人室に裸電球の件を話す。早速、業者に連絡してくれて、今日明日中に工事を完了させるとの返事が来る。
床置き式のクーラーが、壁掛けのエアコンに変わったのを機会に、少し、部屋の模様替えをする。随分、動き易くなる。故障し、だましだまし使っていたテレビを、駅前の電器店にリサイクルに出す。リモコンさえ無い時代の小型のテレビである。リサイクル料金、約五千円。大きさに関わらず同じ値段かと問えば、若い店員、愛想もなくはいと答える。声音、緊張している様子。リサイクル料金が高額なので、文句を付けられるとでも思ったか。
夕方、末広亭へ出かける。
三遊亭円丸は『後生鰻』。
これは本来、次のような話である。(落語検索エンジン・ご隠居より)
これを円丸は、鰻屋の亭主が女房の尻に敷かれていることを伏線として、次のようにサゲていた。鰻屋の女房が割き台に寝て、その女房を買ったご隠居が、苦心惨憺して女房を川に投げ込む。その後ろで亭主が、「ああ、いい後生をした。」
『後生鰻』は、赤子を川へ投げ込むというサゲが、嫌われる場合がある。それを配慮しての工夫かと思われる。もっとも、本来のサゲでも、演じ方によっては、必ずしも残酷な印象は与えない。
この日の末広亭で、興味深かったことをもう一つ。三笑亭夢太朗の演し物は、『替わり目』。これを夢太朗は、「『酔っぱらい』でございます」と、演目を紹介していた。『替わり目』は、普段、女房に威張り散らしている亭主が、酔っぱらって、女房が傍にいることに気付かずに、女房への感謝を独りごちてしまうところで切り上げるのが、一般である。『替わり目』という題の意味が分かるところまで語られることは殆ど無い。夢太朗も一般的な終わり方であった。故に、題名を変えたのであろう。納得出来る工夫ではあるが、馴染んだ名前が変わってしまうことに、少し寂しい思いもする。
12月15日(土)
午前中、電気工事の業者来る。これを機会に、DKの天井照明を取り替える。
午後、神田で芸能学会。世界無形文化遺産への、能・歌舞伎等の登録についての文化庁の担当者による報告があり、オペラ・バレエ等との扱いの差異について質問をする。この方とは、会の後でも話すことが出来た。
12月16日(日)
昼頃、東京駅で船田氏と会い、二時間ほど呑んで、帰静。
12月17日(月)
代講、三回目。「シナリオと戯曲(映画の歴史)」。
12月19日(水)
午後、短大パンフの写真撮影とインタビュー。
12月20日(木)
夜、AOIにて音楽科の定期演奏会。一成と行く。
12月21日(金)
卒論の提出締め切り日。自分の担当の学生は、幸い、全員提出を完了。
12月22日(土)
母、一成と三人で、昼頃、京都に向かう。昼食は新幹線の中、夜はPHで天麩羅。
持ってきたプロジェクターで『トラ・トラ・トラ』を観る。
12月24日(月)
午後、一成と、梅小路蒸気機関車館に行く。幼稚園以来、何度目になる事やら。閉館近くまでいる。京都駅に出て、大階段のクリスマス・ツリーを観る。地下鉄で北大路駅へ行き、植物園に向かう。今日まで電飾を行っていると聞けばなり。園内余りに広く、電飾、街中の華やかさはなく、却ってゆかしい。この期間、大温室を無料開放している。夜の温室を初めて体験する。意外に人が出ている。北山通りへ抜ける。ケーキをあちこち探し、結局、宝ケ池通りのドルフで、ホールではなく、四個買う。ドルフは、結婚当初、奥サンと朝の散歩の途中、人参ジュースを飲みによく立ち寄った店。今夜は、店内の暖炉に薪が燃えていた。
帰宅すれば、奥サン、来ている。
この日、午前十一時頃、聖子ちゃん、伊藤君と結婚する旨を、両親に伝えたとか。
12月25日(火)
奥サン、一成と三人で、南座の顔見世(夜の部)。顔見世を観たのは六年ぶり。一成が早く動けたので、そして高校に上がれば亦忙しくなりそうなので、今年は、是非観ておきたいと思ってのこと。
最初は、『石切梶原』。幕が開いた時、錦絵のようだと思った。舞台と役者の比率が、丁度、江戸の芝居絵なのである。歌舞伎座の舞台は、実は、世界で一番横幅の広い舞台である。これを見慣れていると、南座は、古風に且つ新鮮に感じられる。南座では、毎年、前進座を観ているが、これは新しい発見であった。
顔見世は、東西合同大歌舞伎と銘打つ。しかし、先代の仁左衛門が亡くなってからは、西の役者は、殆どいなくなった。演目さえ、藤十郎の道成寺、昼の部の『二人椀久』などを除けば、江戸歌舞伎の演目である。土地の色の薄れてゆくのは淋しい気がする。
夜の部、跳ねたのは十時過ぎ。五時間四十五分もの長丁場。堪能して、上記の淋しさはともかく、来年も観たくなる。河原町三条まで歩き、たこ焼きと明石焼きを買って帰宅。
12月26日(水)
午前中、近くのホームセンターへ行き、DVDプレーヤーと一体型のビデオデッキを買う。長く使っていたSVHSのデッキ(何とSVHSタイプの最初の製品)が、早送り・巻き戻し機構にトラブルが生じたため。韓国のLG電子製で税込み8980円。使ってみて愕然とする。品質がいいのだ。しかも使い易く、取扱説明書も分かり易い。これが八千円台である。日本経済はもうお終いだと、家族に言って回る。
12月28日(金)
三十三間堂に行く。修学旅行で行った一成が、家族でも行きたいと言うので、奥サン、一成と行く。京都に育ちながら、自分は初めてである。
拝観する。信仰心を持って、しかも心に苦しみを抱いてこの堂を訪れる人は、像たちが自分に向かって動き出す幻を見るのではないかと、ふと思った。
亦、こんな事も考えた。観音菩薩にせよ阿弥陀如来にせよ、慈悲心を持って衆生を済度するものとされている。しかし、仏像の顔を、よいお顔などというのは賢しらで、例えば西洋のマリア像のような、慈愛に満ちた表情をそこに見出すことは出来ない。仏像には、慈愛も含め、ある思いの表出としての表情が、容易には発見出来ないのだ。三十三間堂で言えば、千一体の千手観音像に較べて、その前に配された二十八部衆像の方が、どれだけ明解な表情を示していることか。だが、仏像に、表情が無いというのではない。仏像の表情とは、そこに表情の存在を認めながら、その表情の意味が読み取り難いようなものである。すると、仏像を通じてー仏像を機縁としてー仏の慈悲を感じ取るためには、言い換えれば、仏の思想と仏像の印象とを一致させるためには、見る者の心の特別な在りようが必要であるに違いない。その特別な在りようこそ、悲しみとも絶望とも呼ぶべきものなのであろう。
かつて、瀬戸内寂聴が人生相談に応じるテレビ番組を見たことがある。多くの相談の手紙に、たしなめるように答えていた寂聴が、殺人を犯して刑務所に入っている女性からの手紙に、「このような方こそ、仏に縋るべきです」という意味の答をしていたのを覚えている。「仏に縋るべき」とは、「仏に出会う資格を得た者」との意であったのかも知れない。
12月29日(土)
奥サン、一成と三人で、寺町通り、錦市場など歩く。
12月30日(日)
この日までに、京都に来てから観た映画。『白樺の林』『クリムゾン・リバー』『ブロードウェイ・メロディー』『日本以外全部沈没』。
『白樺の林』は、昔録画して、置いてあったもの。アンジェイ・ワイダの作品。
『クリムゾン・リバー』と『日本以外全部沈没』は、今回、深夜放送を録画。『日本以外全部沈没』は、筒井康隆の原作。『日本沈没』のパロディ作品。小説としてこれが発表された直後、小松左京が「お礼に」、『タイム・ジャック』という、筒井康隆風の楽しい作品を書いていたのを覚えている。
『ブロードウェイ・メロディー』は、十字屋でDVDを買った。1929年のアメリカ映画。オマケに、『ドッグウェイ・メロディ』という、全て犬が演じるパロディ作品が付いている。能『頼政』に、『通円』というパロディの狂言があったことなど、思い合わされて興味深い。
金谷からお餅、高島屋からすき焼き届く。午前中に届く予定が、歳末の混乱で、夜になる。
12月31日(月)
昼食後、北大路ビブレまで歩く。宝ケ池、北山通り、賀茂川畔と、例のコース。写真を撮りつつ歩く。本とDVDを買って、地下鉄で戻る。
高島屋から、年越し蕎麦とおせち料理。今回は、遅れずに届く。夕方、早速、食べ始める。毎年、大晦日からおせちを食べ始めるので、一成は幼い頃、おせち料理は大晦日に食べるものだと思っていた。
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